今回のディオスクロイの件で運営から謝罪がありましたね。まあ、あれは完全にコピペだったし、信用とかの問題どころか普通に犯罪ですし。謝罪も結構雑だから賛否両論あるけどその話は一旦置いておくとします。
なのでFateの世界観に合わせて、その英霊のコンセプトストーリーをどう書くか、というのがライターの腕が問われるんですね。
例えば型月のギリシャ神はロボだったり、平安時代の具足は巨大ロボに変形したりします。これらは型月のオリジナルを組ませつつ、史実や元ネタをしっかり尊重して描いてるので「どうなってんのこれ」となっても面白く読めるわけです。特にオデュッセウスのあの木馬はやばかった。そりゃあトロイアの戦士達も中に入れるわな、めちゃくちゃかっこよくて心くすぐられるもん。
で、この前のディオスクロイ案件で一部のアホ達が2CHとかで騒いでいたことが自分の目にとまったわけです。
「そもそも双子座なのにポルクスが女っていうのがおかしい」
あー、言いたいことは分からんではない。
「双子座の弟が妹かもしれない」っていうところから持ってきてるにしろ、確かに無理矢理感はある。正直な話、長尾景虎は女性説あったからともかく、牛若丸や宮本武蔵なんかは俺もおかしいと思った。
でもね、よくよく考えてろよ。
こんなことやるゲームだよ?
おかしい? 当たり前じゃん。
SNからアーサー王女体化という普通じゃ思いつかないオリジナル設定をかましてるのだから、女体化はもはやFateの常識。
それを今更流れに便乗して叩くのはおかしいっ
ていうか、なんか違うよね。
正直、ディオスクロイというキャラクターはストーリーでも役割などを見ても魅力が薄い。再臨が地味っていう声もあれば、声優があってないという声もある。自分もポルクスはともかくカストロはなんかあってないと思うし。
でも、キャラのコンセプトを叩くのはいけないと自分は言いたい。特に女体化
そもそもカルナとアルジュナの話だって少しおかしいわけです。FGOにおいてアルジュナは自分が行ったことを反省しているのに対して、カルナの方はそこら辺あまり触れられないんですよ。それもそのはず、FGOのカルナは聖人と化しており、キリスト教で聖人認定されているジャンヌ・ダルクにすら「宗派は異なれど、彼もまた、成人に近しい存在」とまで言われているほどです。
一方原典だと...
黄金の鎧を持った状態で生まれ、母親に捨てられ、御者のアディラタに拾われて育つとこまでは一緒
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パーンダヴァ主催の競技会で武芸トップだったアルジュナに匹敵する武芸を披露し、どっちが優れているかを競うためにアルジュナに挑戦しようとするが、王族に挑戦するに値する資格(クシャトリヤ以上の階級)がなかったため、パーンダヴァらに無礼者と辱めを受ける
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その時、パーンダヴァを敵視していたカラヴァ家の長男であるドゥルヨーダナという男がカルナを王として認めたため、不名誉から一時的にとはいえ救われて、以後ドゥルヨーダナに忠誠を誓う。
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カルナの出世を祝うために来たアディラタを見たビーマ(アルジュナの兄弟)が、アディラタに礼を尽くすカルナを御者生まれと罵り、カルナは激昂。
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さらに後日、ドルパダ王主催のドラウパディー姫の花婿を選ぶための競技会にて、アルジュナにしか引けないはずの弓をカルナは引き絞ることが出来た。しかしドラウパディーが御者の息子との結婚を嫌がり、競技会そのものが中止。
結局その後来たアルジュナが弓で的を射抜き、ドラウパディーはパーンダヴァの嫁となった。
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カルナとパーンダヴァの間の確執が深まり、カルナはカラヴァ側の戦士となり、敵対することとなる。
...てのが前半部分の大まかな説明です。
まあ、インドって格差あるからね。こういうのって仕方ないと思うんだよね。
しかし少なくとも原典ではカルナは聖人じゃありません。
実はこの後、パーンダヴァが失墜して、ユディシュティラという男にドラウパディーを取られるのですが、そのドラウパディーを見たカルナは彼女を「奴隷女」と罵るんですね。
さらに落ちぶれたパーンダヴァを見に行ってやろうと森の奥までわざわざ行ったりなど、原典に書かれてる限り、一度受けた屈辱は根に持つタイプの人間です。
まあ、それ以外の忠誠心や施しの心は本物で、Fate作品ではその部分がメインで書かれていますが。
そもそもFateなんて神話の2次創作だったりオリジナル要素詰め込んだ話なんだから、多少おかしいなんて当たり前。逆に「武蔵まじエロい」とか「沖田さんでいきたい」とか言ってて正常だと思う方がおかしいんだから。
美形ではあるけども。
まあともかく、ディオスクロイの件で悪いのはDW。それは間違いない。
でもだからといって作品のコンセプトを否定しようとするのはやめよう。それはさすがにおかしい。
以上です。
おち? んなもんねーよ。
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